修道院跡と古戦場。

週末、大学の上司・バーバラと
アイルランドのほぼ真ん中に位置する古い修道院遺跡
クロンマクノイズへ行ってきました。





クロンマクノイズは、8世紀から18世紀まで
教会と大学を中心に栄えた、シャノン川流域の肥沃な土地。



アイルランド島をきれいに横一文字に横断する、
ダブリン−ゴールウェイを結ぶルートのちょうど中点に位置するので、
もともとは、シャノン川渡しから始まった村だと言われています。



すごいと思うのは、9世紀はじめの時点で、
ここにはシャノン川を渡る木橋がかけられていたということ!



木製なので、現存はしていませんが
いまでも川底には、橋杭が残っているのが見えるそうです。



9世紀ですから、もちろん手作り、というか人力建設ですけど、(笑)
再現模型を見ると、それはそれは美しい橋なのです。



別に、装飾がすごいとかいうのではなくて、
普通に木を組んで伸ばしていっただけの、ただの木造の橋ですけど、
そのシンプルな木組みが、シャノン川を渡るほどの長さになると
こんなにきれいなのかと。
まさに、9世紀のシャノン大橋。





そして、ここにそんな橋がかかっていたら…
という風景を想像するだけで
なんだかあっという間に、
歴史の中を戻っていくような気になるのでした。





キリスト教が入ってきてから、
ここは修道院と、修道院が主催する大学を中心に栄えていきます。
でも、交通の主要地に位置していたことと、
海からシャノン川沿いに遡れる場所に広がっていたことが災いして
ヴァイキングの襲撃にあうこと複数回。



最終的には植民地時代にイングランドにも占拠され、
村は廃墟と化していくのです。





現在のクロンマクノイズは、ほとんどが墓地。
そして遺跡が数点。
でも、博物館内に移設された、7世紀のものといわれるハイ・クロスや
英語のアルファベットが輸入される前の、
オーム文字と呼ばれる独特の文字で刻まれた墓碑は
なんだかとても温かく、
手彫り特有の心のこもった美しさを見せていて、
ここが古い文明の大きな一拠点だったことを伝えています。






ついでといってはなんですが、ちょうど帰り道の途中にあったので、
オークラムという古戦場にも寄ってみました。



オークラムは、もう少し時代が下った1691年、
対イングランド・フランス戦争の舞台となった平原です。



一見、アイルランドなら国中どこに行っても見られる、
のどかでのんびりと、どこまでも広い普通の草野原に見えるのですが
ここはあまりにも数多くの兵士たちが、勇敢に戦いながらも、
運に見放され、指揮官である将軍の一人にも敵前逃亡され、
無念のうちに亡くなっていった古戦場なのでした。



「オークラムの戦い」として知られるこの戦争の後1年ほどして
この地を通りがかった旅人が、
草野原を埋め尽くすほどの、大きな羊の群れを見かけます。
でもよく見るとそれは羊の群れではなくて
累々とどこまでも果てしなく続く、夥しい数の白骨だった――という話。



アイリッシュ・チューンの中には
「バトル・オブ・オークラム」という古いマーチがあり、
古い曲のせいもあって、わりと単純で簡単なので、
東京のセッションなどでも、あまり意識もされずに
ぴらぴらっと演奏されてしまったりするのですが



一度、実際のオークラムを訪れてみると、
その風景の中に散らばる白骨をヴィジョンとして捉えてみると
きっと曲の捉え方が変わってきます。
そんなに軽く弾く曲じゃないのです。




久しぶりに、アイルランド観光(笑)、
それもなんだか、振り返れば手が届くような千年前に
ふと行って戻ってくるような、いい小旅行でした。